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法思考で伝えたいこと

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    • ブログ2024.03.16

      親子のための保健室のサイトトップのスライドにも書かれているフレーズ“法思考”

      “法思考”とは私流の法教育の中で最も大切にしている「法的なものの考え方」を意味する造語です。

      法思考をネット利用を踏まえて、また親子間に特化したものが「親子のための保健室」ですが今日は、その法思考をなぜ広めたかったのか、必要だと思ったのか、私の経歴を踏まえてお話ししたいと思います。

      改めまして、親子や若者たちに向け法律と法的なものの考え方を伝えることで自立支援をしております、行政書士の田中友里(たなかゆり)と申します。

      子どもたちや若者になぜ法律の話しをしているのか、それが果たして自立支援となるのか?新しい試みのため戸惑われる方も多いと思います。

      私がなぜこのような活動をするに至ったか、それは自身の育った環境と経歴からきています。

      20代の働き盛りの頃の私は、仕事に向ける情熱はひと一倍あったと思いますし、仕事のためなら努力と時間も惜しみなく費やしてきました。毎日失敗もしたけど反省と改善を繰り返し、常に笑顔を絶やさないので人間関係も大きなトラブルになったことはありません。

      とにかく仕事が楽しかったですね。「正しい方向に向かって正しい量の努力をすれば結果はついてくる」と信じていたし、実際そうであったと思います。
      ひと言で言うなら「自信に満ち溢れていた」そんな20代でした。

      私はこの20代の間に正規雇用で6社ほど勤めた経験があります。おそらく同年代の中でも多い方でしょう。
      それだけ転職を繰り返しても採用試験で落ちたことがないことが自慢でした。
      転職回数は多いけれど、仕事が嫌になって辞めたことは一度もありません。「もっと違うことにもチャレンジしたい」「自分の可能性を知りたい」より困難な道を求めて突き進んでいたような時代だったのかもしれません。

      私がここまで自分を信じることができ、心の赴くまま転職を繰り返し、今は起業して社会をより良くしたいという信念のもと動けるようになったのは、私が元々は
      「何もできない、何もない人間だったから」だと思います。

      自己肯定感どころではなく自己絶望感に溢れた幼少期。自分の将来に夢も希望もなく、学校にもいっていなかった時期があり勉強も全くできませんでした。運動もマラソン大会最下位レベル。趣味も特技もなく、本当に何もなかった。だから日々無気力に過ごすだけで、間違いなく自分はろくな大人にならないだろうと自覚していました。些細なことにいつもイライラしていて、そんな自分を「なんて魅力のない人間だろう」とより一層嫌いになるばかりでした。

      そんな勉強ができなかった私は高校卒業後すぐに就職しました。

      社会に出てからはがむしゃらに働きました。私は人より劣っていて、能力も低い人間だから人の何倍も努力をしなければいけないと自分に言い聞かせ、疲れとストレスで体を壊してもそれでもなお自分の体を酷使し続けました。

      そんなことを続ける中で徐々に周りからの評価や、チャンスに恵まれ、自分の能力以上に引き上げてもらう経験を重ねる中で、ようやく自分のことを認め「よくやったね」と自分で自分を褒められるようにまでなったのです。


      そうなると一気に何事もポジティブに考えることができるようになり、もっと頑張りたい。もっと成長したい。という欲求が芽生えてきました。

      無気力でも自分を諦めているようでも、本当は心の中に「もっと輝きたい」という強い欲望があったのだと思います。

      頑張れば頑張っただけ成果がついてくるというのも快感でした。18歳でフランチャイズの某ファーストフード店に就職しましたが、19歳の時にはそのオペレーションスキルを競う競技会で全国3位、20歳の時には全国初のモデル店舗化計画という会社の一大事業の責任者としてそのモデル店舗の責任者を務めました。
      年齢や性別問わず私を起用してくださった当時の営業部長には今でも感謝の気持ちでいっぱいです。

      このような経験から私にとっての仕事は「自分も成長でき、周りの人には感謝され、それでいてお金までもらえる最高のシステム」となりました。

      しかし私はそう思っていても、一緒に働くスタッフはじめアルバイトの学生や、その後も一緒に仕事をする同僚、後輩などを見ているとみんな大変そうに、何かを我慢しながら働いているのが現実です。なんとかしてあげたいと思っていましたし、私の経験がヒントになると思っていました。私自身も働き始めた頃は疲れとストレス漬けだった訳ですが、仕事が楽しくなってからは違います。何が違うのかというと、働き方も働く時間も変わらない中で「考え方」が変わっただけで、ストレスがなくなったということです。

      考え方を変える例として例えば責任者としてお客さまからクレームを受けた時を考えてみると、お客さまに叱られたことにショックを受け、対応したスタッフにイライラし、今回は運が悪かったと自分の責任を放棄する責任者がいたとします。
      働き初めの私が正しくこれです。それが同じことが起こっても考え方を変えるとどうなるのでしょうか。
      お客さまにわざわざご指摘いただいたことに感謝し、次のスタッフ指導に活かし、自分の何を変えれば同じことが起こらないか振り返る。ここにショックを受けるとかイライラするなどの感情は入りません。周りにとって(お客さま、スタッフ)良い環境にするにはどうしたらいいか、この経験から自分はどう成長できるか、考えることはこれだけです。
      これを繰り返していくことが私にとっての仕事でした。

      これはほんの一例ですがこのように考え方を変えてから、その思考はどの職種でも業種でも役に立ちましたし、人間関係も良好でした。人のご縁に恵まれていたこともありますが、勿論良い人ばかりではなく癖のある人たちも中にはいましたがそれでも上手く立ち回ることができていました。

      この人はちょっと危険だなと思えば予防線を張ることもありますが、自分自身の精神状態はいつでも穏やかに過ごすことができます。

      このように20代で培った経験を30代で成熟、吟味し20年間の社会人経験の中で培った「社会で活躍できる人の考え方」とは。
      私がたどり着いた答えは「自他の区別、そして自他の尊重」です。そしてこの思考というものが私の現在行なっている「法思考」に繋がります。

      詳しくは述べませんが、法律というのは「共生のための相互尊重のルール」だと法務省も規定しており、これが正しく私が社会で活躍するために必要な思考と行き着いた「自他の区別と自他の尊重」と言えます。

      今まで書き綴ったような自身の経験もあり、この法思考で物事を考えることで人生がストレスなく、豊かに過ごせるよう、次代を担う若者たちに身につけてもらいたいなという想いで活動しています。

      以前、とある高校にお邪魔して学生たちに「キャリアアップ」について話したことがあります。
      「キャリアのことを考える前に自分の気持ちに正直になってね」という私の発言に多くの反響がありました。生徒たちからは
      「自分の気持ちに正直になって良いんだ。」
      「自分の気持ちをいつも周りに言えなかったけどやっぱり言いたいと思った。」
      そして、
      「こんなに楽しそうに仕事のことを話す人がいて、社会人になるのが楽しみになった。」
      と。これは本当に嬉しかったですね。

      人生は苦しまなくてもいい。楽しんで良いんだよ。と全ての人に伝えたい。そのためのお互いの配慮の仕方、考え方を学ぶだけです。

      みんながみんな、今いる環境でそれぞれに輝けますように。

      長々とお読みいただきありがとうございます。



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